京都精華大学学長
ウスビ・サコさん
皆さんにアフリカのことをもっと知っていただくため、アフリカに関係の深い人々にインタビューをしました。第3弾は、京都精華大学学長、マリ出身のウスビ・サコさんです。
このインタビュー企画の中で、私たちはアフリカ出身で日本で働く方々にも話を聞いてみようと考えました。日本で初めてアフリカ出身で日本の大学の学長になられたウスビ・サコ学長にご自身が研究されている空間人類学のこと、環境のことやBLM、日本人学生のことまで様々なことを聞いてみました。
(なおスケジュールの都合上実際にインタビューすることができず、事前に送らせていただいた質問に対して音声で回答していただきました。)
~プロフィール~
ウスビ・サコ (Dr. Oussouby SACKO) 京都精華大学 学長
京都精華大学学長。博士(工学)。1966年、マリ共和国生まれ。高校卒業と同時に国の奨学金を得て中国に留学。中国・北京語言大学、南京市の東南大学等に6年間滞在して建築学を実践的に学ぶ。1990年、東京で短期のホームステイを経験し、アフリカに共通するような下町の文化に驚く。1991年に来日し、同年9月から京都大学大学院で建築計画を学ぶ。京都大学大学院建築学専攻博士課程修了後も日本学術振興会特別研究員として京都大学に残り、2001年に京都精華大学人文学部教員に着任。専門は空間人類学。「京都の町家再生」「コミュニティ再生」など社会と建築の関係性を様々な角度から調査研究している。2013年に人文学部学部長、2018年4月同大学学長に就任。日本初のアフリカ系大学長として、国内外のメディアから大きな注目を浴びている。共編著に『知のリテラシー文化』(ナカニシヤ出版)、「現代アフリカ文化の今」(青幻舎)、著書に『「これからの世界」を生きる君に伝えたいこと』(大和書房)、「アフリカ出身 サコ学長、日本を語る」(朝日新聞出版)、『アフリカ人学長、京都修行中』(文藝春秋)など
Q1空間人類学は人々の生活空間に密着した研究だと聞いております。私たちの普段の生活にも身近に感じられる、空間人類学の例みたいなものはありますでしょうか?
もともと私たち建築をやっている人が家を作るときに建築を作る基準というのがあるんですよね。例えば部屋の広さ、その部屋の中でやる行動の型も決まっていて、近代になっていく過程で建築の作られ方というのは、形というのは機能に従って作られるということが決まったわけです。でもその形と機能というのは伝統建築には必ずしも当てはまるとは限らない。というのは多分皆さんは一個の部屋で複数の機能をする、まあ簡単な例でいうと学生さんですね。学生さんは下宿するときにそれが単なる寝る部屋だけではなくてそこで勉強したりとか仕事をしたりとか趣味のことをしたりとか、そうするとこの部屋は多機能型の部屋になる。そのため生活をしやすいようにレイアウトをしたりとかものを置いたりとか必要な道具とかを配置していくわけですよね、この人とその空間の関係だったりとか、空間を通してその人の性格づくりだったりとかあるいはその人自身の物事の見方だったりとかが見えてくるというのが空間人類学の考え方ですね。日本で古くから研究するというのは住まわれ方であったりとか住まい方とか、家が箱モノではなくってそこに生活行動があるということで、その人と空間の関係をとらえるというのが空間人類学の研究対象です。それはまた文化によって違ったり、その人の日常のものの価値観によって違ったりするということであります。ある意味で家というのは我々のアイデンティティを支える場所である、でこれをとらえていくというのが空間人類学の一つの事例ではないかと私は思っています。
Q2サコ先生が空間人類学を研究されるきっかけの一つに、もともと研究されていた、自然環境・環境問題の研究に疑問を感じられたからという理由があると聞いております。昨今SDGsなど環境への意識の高まりがテレビやネットなどでもかなり感じられると思います。
そのような風潮についてはどのように思われますか?
環境問題が流行った80・90年代、皆さんが覚えていらっしゃるかわかりませんがリオ・デ・ジャネイロでこれから都市環境をもっと大切にきれいにしていかなければならないというのが発表されたわけですね。これが92年に日本でも浸透していって環境配慮をした都市づくり家づくりですね、あるいは私たちが日常行動をするところの考えはすべて環境を通して見ていこうよというはなしですね。その頃は今ほど地球環境の問題は深刻になっていなくて、ただこれは放っておいたら10年後20年後、もう100年も持たないうちに環境が確実に破壊されるだろうということが見えてきた。一方それまでの日本の建築というのは特に団地を例にすると、日本で団地建設が始まったのは1952年から、これは今URというのですが公団といって住宅供給公社であったりとかそういうのが大規模建設をして、それのちょうど30年たってから建て替えが始まったんですよね。本来は構造体が100年持つはずなのが30年で建て替えてしまう。これは様々な説があるのですが、例えば社会的寿命が切れるとか、人の生活パターンにもう合わなくなってきたとか、あるいは機能そのものが古くなって更新せなあかんとか。いろいろあると思うのですが、それは建物全体を壊して建て替えるというところまでいかなくてもよかったのかと。同じ大規模な建物が建設されたフランスであったり、ドイツであったり、いろんなところがあると思うのですが、皆さん団地を建て替えるのではなくて修正して中身を、機能を更新して使っていくということを心掛けていたと私は思っております。私自身は当時京都大学の大学院生で環境共生建築の手法であったりとか、デザインとか、あるいはどういう施設・設備を入れるかとか、それを私は研究統括の責任者だったので先生のもとでそれをやっていて、かなり外部と共同研究をたくさん持っていました。具体的な名前は例えば竹中工務店とか大阪ガスであるとか清水建設とかいうようなところで、さらに日本建築研究所とか大阪府とか大阪市とか。私が書き上げた修士論文の一部は大阪府の環境指針にも使われているぐらいです。私自身はそれをやっていく中でかなり環境に対する意識は高く守らなければならないということばかり考えていて、その翌年くらいに自分の国に帰って講演会を当時の先生と開いたわけです。講演会の時に環境の大切さと環境を守っていく手法、あるいは先進的な事例というのを紹介させていただきました。その時にマリの人たちに言われたのが、「あなたはこんなことを言っているけど、私たちは十分な電気の供給もないのに省エネって言うなよ」と。「エネもないのに省?何言うてんねん」って話ですね。ある意味でその時の私が非常に衝撃を受けたのが、環境問題というのは結局先進国のエゴに過ぎないではないかという。先進国が環境を破壊して、その痛みを途上国に分け合おうという、ある意味で拡散問題とか価値観とか自然観という形で実はかなり違いがあるというのを私は感じられて、やはりその地域相応の物事のとらえ方というのがあるのではないのかと私は思いました。私が今勤めている京都精華大学はかなり環境先進大学でもありました。早くからどの大学よりもISO14001をとったり、非常に分別に努めたりとか、環境をしっかりと意識をして夏冬のエアコンの調整も含めてです。でもそれをやっていく中で見えてきたのが、徐々に入ってくる学生の環境意識が低く、大学としては非常に形上だけの環境になって、結局環境やってまっせとか、ISO14001とってるとか、9001とってるとか、各企業にとって一つのイメージづくり、宣伝材料になってしまったんですね。私は実は公務員の人たちにアンケートをとった中で「皆さんすごい立派な環境方針持ってるけど、それを実際にやろうとするときに本当に意識的にやりますか?」と聞いたら半分以上の人がやりませんといったんですね。例えば「虫と共存したいか」と聞いたら「虫とは共存したくない、落ち葉も嫌だしね」とか、いろいろありました。だからこう、非常に環境問題ってファッションでおわっちゃったなという、「環境のことやっている自分かっこいい」とか「環境に関わっている自分は結構先進的だ」とか。私はSDGsも同じような危険性を感じています。SDGsというのは名の通り、誰一人も残さないというのは世界全体が一緒にゴールしなければならない。日本がいくら頑張ってSDGsを推進してもそれが他のところに行き届かなければ意味がない。最近私が感じているのは、サラリーマンがSDGsのバッジをつけているというのはこれは一つの、ある意味で会社のイメージに繋がっていて会社の宣伝にはなっている。でもその人がどこまで例えば途上国を意識しているかだとか、どこまで格差という問題を考えているかだとか、身近なところでどのくらい男女の共同参画社会を考えているかだとか、そういうのを考えていくと非常にSDGsが環境よりひどい結果になってしまうのではないかという危険性は感じています。だからそういう意味でファッションではなく、本気でSDGsを意識する、本気で若い人たちは自分たちが10年後20年後30年後くらいの世界を描くときに、SDGsというものが物語ではなくそれ自体が中心になっていくということを私は期待しているところであります。
Q3サコ先生自身は黒人という立場で、学長になられた際は国内外で大きな話題となられたと思います。昨年はBLMが世界中の関心を集めました。専門家や活動家の方だけではなく、大学生や高校生が気軽にインスタグラムやツイッターなどでBLMについて発信していました。そういった「社会の風潮」としてBLMが取り上げられていたことについてサコ先生はどう思われますか?また、そのような中で「私は黒人の問題に関心を持っている、理解がある」ということを積極的に発信する人が増えてきたと思います。黒人の立場であるサコ先生としてはそのような発信についてどのように感じていらっしゃいますか。
さっきの質問に引き続き、黒人の問題に興味があるというのは自分の外にある話になってしまうんですよね。自分とは関係なく、自分の外、自分の範囲外にある黒人にちょっと共感を覚えるということになってしまっているんじゃないかと思います。私はBLMの問題を基本的には黒人の問題として見てない、これが私の見解です。あれは強者と弱者の関係性の中で、非常に弱者の立場に長くいた人たちがやっと団結して声を出すようになったと。BLMの話が世界中に広まったというのは黒人に共感しているのではなくて、みんな個々の立場を多分見ていると思うんですよ。自分があんなに頑張っているのにまだ発展しない、全然給料が上がらない、全然弱者のまま、全然貧困が広がっている、全然女性として差別されているという風に見て。だから逆に私は日本でそのムーブメントを見たときに、やっぱり怖かったのはそこなんですよね、「黒人に共感している私がいる」という感じで。そうではくてやっぱり個人としてどう社会を、世界を見ているかという、この理不尽な世界をほっといていいのかどうか。今日は人種・個人の問題だけど、多分明日は若者だったり特定の地域だったり、もしかしたら広くとってアジアの人だったり、という形である意味で自分の問題として取り上げられていない限り私は変な共感はいらないんじゃないかなとは思います。だからまあ私自身も同じで、黒人であろうが何だろうがじゃなくて、一人の人間として、まあ変な意味で私は自分の立場で言うと有利な立場なんですよ。黒人白人関係なく、ある組織の長で大学の学長、社会的権威・地位がある。だから別にムーブメントしなくてもいいわけですよね。でもそうではなくてやっぱり自分の子供、それから孫、それから自分が生きている社会でその中で必ず弱者の人がそこの中にいる。その人のために運動をする、私はこういう風に見ております。BLMはどちらかというとフランス語でéveillée Conscience、意識が立ち上がった、意識が目覚めたということで、私たちは今までタブーにされた、分断の社会、あるいは強者と弱者の関係自体に我々は気づいてしまった、なぜかというと具体的な事例が見えた。正当な理由で我々が運動できるようにチャンスを与えてくれたというように私は思って、これに関わったわけです。
Q4学長としての立場についてお聞きしたいと思います。サコ先生からみて日本人学生にはどのような特徴があると思いますか?またこれからの日本、世界のために、日本人学生がどのような人になることが求められると思いますか。
若い人たちがこれから自分たちの立場を作っていくということが重要だと思うんですよね。今の若い人たちは生まれてから世界が好調だった例はほとんどなくて、課題、不調、経済が悪い、なんかそんな先行きがほとんど見えない形で毎日を過ごしている。その時に個々人が自分が将来どういう社会を求めてそのためにどういう風に力を身に着けていくか、これは専門性の問題ではなくて、社会の理解も非常に重要だと思うんですよね。いわゆるリベラルアーツという物事の考え方・運び方が非常に重要になってきます。そういう意味で私は自分の大学の方で共通教育という視点から哲学であったりとか、自由について、citizenshipについて、そういうある意味で自分が生きていくうえで必要な知識と道具というのを大学にいる間に身に着けていくと。これに+専門のことを付けていくならば、なんとなく自分が欲しい世界を手に入れていくと。だから若い人たちは与えられた世界ではなくて、自分たちが欲しい世界、自分たちが求めたい世界を作っていくということが私は重要だというふうに思っております。これが日本人だとか日本人じゃないだとかってあまり関係ないんですよね。このグローバル化時代というのはあまり国という単位で物事を考える時代は過ぎてしまって、当然ながら日本が良くなればとなりの韓国もよくなる、中国もよくなるという、ある意味で自分の国だけで閉じて、そこだけが良くなるという、それだけを良くしていくという時代はもう終わっているので日本という単位で若い人たちには考えてほしくない、というのが私の考えです。常に自分の立ち位置を考えながら、世界も視野に入れていくという。でも自分の足元を、立ち位置を見れない人は世界も見れないだろうということで、だから日本が世界の一部であるというのと同時に日本を良くしていく=世界を良くしていく、これは一緒だと私は思っていますので、皆さん頑張って日本で幸せになり、その幸せを共有していくということであります。多分これからミックスコミュニティーになっていくしダイバーシティーも進んでいくと思うので、今までの価値観で10年後くらいも過ごすことはないと思うので、その新しい文化・価値観・社会・共同体の中でそれぞれが変革力を持って頑張っていってほしいなというのが私の今の若者に対する期待であります。
空間人類学について、環境のことについて、日本の未来について、多岐にわたる興味深いお話をお聞きすることができました。
ウスビ・サコ学長、この度は本当にありがとうございました!